しょうゆの国際化の始まり移民に向けたしょうゆの輸出明治時代以降、日本のしょうゆの輸出はハワイへの日本人移民の始まりとともに広がっていきます。その後、北米や、中国、極東ロシアなどへ移民が増え、各地の在外日本人向けのしょうゆの輸出が伸びていきます。しかし、第二次世界大戦によりしょうゆの輸出は困難になり、千九百四十一(昭和十六)年にはほぼ途絶してしまいます。第二次世界大戦後、輸出再開第一号としてキッコーマンしょうゆが横浜港から出荷されたのは千九百四十九年のことです。